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葵(あおい) 徳川三代 総集編 第4回 葵(あおい)の絆(最終回)

(2000日)前回、慶長20年(1615)大阪夏の陣で豊臣家が滅亡。
翌、元和2年(1616)家康の死去となった。

そして、元和8年(1622)11月、第2代将軍秀忠は、家光に家督と将軍を譲ることを家臣の前で表明した。


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ところが、聞いてなかった家光は動揺。
家臣からの信望が薄かったため、将軍となる自信がなく、
腹を切ることにした。



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が、乳母のお福(樹木希林)に危うく止められ、
容赦ないビンタを受ける家光だった。


翌、元和9年(1623)7月、上洛、家光将軍宣下となる。
 12月、鷹司孝子の輿入れとなったが、険悪だった。

寛永3年(1626)秀忠、家光、忠長(家光の弟)、上洛し二条城で宿泊。
   9月6日、後水尾天皇が二条城に行幸。


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 この頃、お江が昏睡状態に入った。


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 12日、忠長のみ、急遽帰国。


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 13日、お江の心配していたが、秀忠は太政大臣に、家光は左大臣の勅を受けた。

 15日、お江、享年54 だった。



 5年後の寛永8年(1631)末、秀忠が倒れ、翌正月の諸将の拝礼が中止。

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 寛永9年(1632)1月24日、秀忠死去。満52。
  その日、諸将が招集され、家光は

  「家光に従う気がないなら、かかってこい」

  と恫喝した。
  それに呼応し、伊達政宗が、

  「この政宗が、お相手いたそう」

  と、家光側として、諸将を威圧する。抜け目がなかった。



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NHKオンデマンド 葵(あおい) 徳川三代 総集編 第4回 葵(あおい)の絆(最終回)

 家光の治世となるものの、
翌、寛永10年(1633)12月6日、高崎城にて弟忠長が自刃する。享年28。
 
 家光に「この家光がたとえ死のうが、お前には家督も将軍も譲らん」
 
 と、宣告され、理由はあるものの領地は没収され不遇の身となる。
 この作品では、弟の死の報告を聞いた家光は驚き涙する。

 
 お江は、秀忠に「幸せでございました」と言って死んでいった。
  そう思える時期に死ねたことが幸いでした。
 



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逃走半年の知能犯か

元警部補の新たな手配書公開 群馬県警、変装も想定
https://www.sankei.com/affairs/news/181029/afr1810290044-n1.html


今年の5月に捜査2課の37の警部補がコンビニを襲ったようだ。

1課が殺人等で、2課が知能犯 3課が窃盗、4課が暴力団だそうだ。

知能犯を扱う人間が、コンビニを狙ったことが信じられないが、
半年間、逃走できていたとしたら知能犯ですが、、、。

右下の写真は、先月捕まった樋田淳也を踏まえ坊主に日焼けした姿にした。


FXで窮したとはいえ、数百万の損失でする犯罪ではないですね。
計画的でなく、衝動的だったのでしょう。


したことないので分かりませんが、
FXは怖いですね。

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