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麒麟がくる (29)「摂津晴門の計略」

(2020日)

永禄12年(1569)正月の本圀寺の変の後、信長は二条城を完成させるべく、
各地から物資人員を集めた。


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贅沢品も徴収。


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坊主たちが幕府へ取られた品々の返却を求めてきた。
義昭は上洛と将軍就任の大恩人信長の手前、
信長が岐阜に帰った後、少しずつ返すと約束した。
将軍義昭に取り次いだ政所執事の摂津晴門は、名案とヨイショし、
良きに計らえ状態となった。


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三好に脅されたとはいえ、義栄将軍を実現させた近衛前久は、
義昭や関白二条晴良に嫌われ、京にいられなくなったようだ。
旅芸人に変装し光秀に会い、義昭や信長に害意が無いことを伝えた。


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すると、秀吉は近衛前久と会っていたことを知っていた。恐るべし秀吉の諜報網だった。
義昭の下にいる者や公家の動向を信長に命ぜられ調べていた。


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信長に幕府人事の刷新を訴えたが、お前の仕事だと言われる。
父信秀が御所の門の修理に4000貫献上したが、
腐った幕府だった故、きちんと届いたとは思えなかった。


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東寺八幡宮領押領事件だそうで、将軍から与えられたはずだったが、
被害届が出てきて、摂津晴門を問い詰める。
武力を背景に5年10年と調査を先延ばしにして、他人の所有物を転がしていたようだ。


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御所では、門の修理なぞなされていなかった。 放置されていた。


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2か月余りで二条城の完成。織田信長の力を見せつけた。
妹お市を嫁がせていた北近江の浅井長政も協力していた。


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NHKオンデマンド 麒麟がくる (29)「摂津晴門の計略」


信長は岐阜へ帰ることとなる。
光秀も岐阜へ行き越前の朝倉に関する意見を述べることになっていた。

まさか、浅井が朝倉につくとは、さすがに誰も考えないでしょう。




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