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青天を衝(つ)け (38)「栄一の嫡男」

(2021日)


大日本帝国憲法が発布された明治22年(1889)、
東京開市三百年祭が行われた。


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蝦夷共和国の函館奉行だった三島由紀夫の高祖父永井尚志が遅れて入ってきて、
「徳川万歳」と口にした。


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次女の琴子は後に大蔵次官や東京市長となる阪谷芳郎と結婚。
くにの子、文子は惇忠の子次郎、照子は千代の甥の大川平三郎に嫁ぐ。


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くには、皆さんの立派になられた姿をお千代さんに見せてあげたかった、
お世話になりましたと、渋沢家を笑顔で去った。
官僚で学者でもあり栄一の友人でもあった織田完之の妻となる。
明治20年(1887)に先妻が死去していた。


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東京養育院慈善市を兼子が主催した。


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川村恵十郎と平岡円四郎の妻よしも駆け付けた。


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嫡男の篤二は15の頃には遊んでいたようだ。姉歌子はきつく叱る。
熊本の第五高等中学校に入るものの、落ちこぼれ退学。
が、ボーと無為に過ごしていた訳ではなく、遊びや趣味を極めようとした楽しい人ではあった。


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血洗島で謹慎することになるが、真面目に働いたようだ。
父母がしてきたことであり、ここで脱落する訳にはいかなかった。


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明治25年(1892)、栄一は2人の暴漢に襲われた。
国産ではなく外国製の水道管を東京市で使おうとしたことが原因と考えられた。
結局、国産のなったが粗悪品で問題となったようだ。
2人は捕まり1人は獄中で死亡。出獄したもう1人に栄一は援助する。


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慶喜の妻美賀子は東京の徳川家達邸で明治27年に他界。

この頃、日清戦争は戦争費用2億かかり政府予算年8000万を大きく超えていた。
が、賠償金で3億6千万を得る。
ポンド建ての小切手で受け取り英国より運んだ金塊で金貨を鋳造。
金本位制の確立となる。


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NHKオンデマンド 青天を衝(つ)け


明治30年となり、慶喜が東京に戻ってきた。
篤二は趣味に生きる慶喜に魅かれる。






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