英雄たちの選択 「明治日本を襲った試練 ~伊藤博文とロシア皇太子襲撃事件~」 [歴史動画]
(2021日)
明治24年(1891)5月11日昼過ぎに大津事件が始まる。
電報が政府にもたらされ緊急閣議、松方から箱根の伊藤に電報があり、
伊藤は東京へ向かい、深夜1時に謁見。
翌12日早朝 明治天皇は京都へ向かったという。
伊藤のスピードと深夜であれ危急だという判断と、
既に翌朝に出発する準備をしていたという明治天皇のご判断も素晴らしい。
11時間かけて晩には到着するも、ニコライから明日ということで、
13日11時、京都常盤ホテルで会見。
ロシア皇帝ではできない迅速な謝罪を明治天皇はされ、怒りは静まった。
12日に伊藤は京都に向かうという迅速さだが、
青木とロシア公使との密約を知った以上、政府として大逆罪適用の方針とし、
ニコライの健康状態と感情により、大審院長児島なら適切に判断してくれるだろうと考えたのやもしれません。
16日に賠償金を要求しないとのロシアの意思が分かった以上は、
児島の判断待ちとなり、伊藤は特に動くことはなかったようだ。
政府として法を曲げて誠意を見せようとしたことと、
裁判官の独立と津田の上訴権を奪い司法の独立を守ったという児島の政治的判断だったようだ。
結局、津田は数か月後に獄死するが、後から入った者が津田のことを話したのでしょう。
こういうことは誰かが命令せずとも人間扱いされずリンチで衰弱して死んでしまうのでしょう。
NHKオンデマンド 英雄たちの選択
明治24年(1891)5月11日昼過ぎに大津事件が始まる。
電報が政府にもたらされ緊急閣議、松方から箱根の伊藤に電報があり、
伊藤は東京へ向かい、深夜1時に謁見。
翌12日早朝 明治天皇は京都へ向かったという。
伊藤のスピードと深夜であれ危急だという判断と、
既に翌朝に出発する準備をしていたという明治天皇のご判断も素晴らしい。
11時間かけて晩には到着するも、ニコライから明日ということで、
13日11時、京都常盤ホテルで会見。
ロシア皇帝ではできない迅速な謝罪を明治天皇はされ、怒りは静まった。
12日に伊藤は京都に向かうという迅速さだが、
青木とロシア公使との密約を知った以上、政府として大逆罪適用の方針とし、
ニコライの健康状態と感情により、大審院長児島なら適切に判断してくれるだろうと考えたのやもしれません。
16日に賠償金を要求しないとのロシアの意思が分かった以上は、
児島の判断待ちとなり、伊藤は特に動くことはなかったようだ。
政府として法を曲げて誠意を見せようとしたことと、
裁判官の独立と津田の上訴権を奪い司法の独立を守ったという児島の政治的判断だったようだ。
結局、津田は数か月後に獄死するが、後から入った者が津田のことを話したのでしょう。
こういうことは誰かが命令せずとも人間扱いされずリンチで衰弱して死んでしまうのでしょう。
NHKオンデマンド 英雄たちの選択
2021-12-24 01:22
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