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BS歴史館 シリーズ 日本のインパクト(1) 鉄砲伝来~最強兵器が時代を変えた~ [歴史動画]

(2013日)鉄砲伝来の経緯もさることながら、1年で複製、大量生産となる。
50年代で世界トップとなり、城の形態にも影響を与える。
江戸時代でも石高での保有義務があり保管されながら、剣術が推奨される。
幕末ドラマで「剣の時代は終わった」というセリフに何を時代錯誤なことをと
不可解だったが、刀の腕は身を守る以上の意味があったのでしょう。


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NHKオンデマンド BS歴史館 シリーズ 日本のインパクト(1) 鉄砲伝来~最強兵器が時代を変えた~

----memo


1543 種子島
  1年で複製成功

      大量生産
     世界トップレベル 鉄砲保有国

 雑賀衆 スナイパー
 究極の鉄砲戦 大阪の陣


 戦乱につぐ戦乱 民衆絶望

  弓より簡単 

 鉄砲で社会の在り方を転換させた
  日本の城も対鉄砲防御で 形ができた

 
「鉄砲記」いっしょにいた中国人 王直 
   倭寇のリーダー

 ポルトガル 生糸 陶磁器 明を狙う
 ジャンク=中国式の外洋船
 
 王直の船にポルトガル人が乗って
  密貿易で金をもうけようとした

 
 屋久島占領される 
 領主 種子島時堯(たねがしま ときたか)

 鉄砲の価値・有用性に気づいた
 敵兵を狙撃する

 2ちょうの鉄砲を購入
  金2000両=1億円


 東アジア 倭寇席巻 ポルトガル人はのっかろうとした
 東アジアのネットワークに日本も組み込まれていた
 中国産生糸 日本も輸入 10倍20倍で売れる
 倭寇は潮流に詳しいので強い
 足利時代 究極の規制緩和時代


 種子島 砂鉄があった
    製鉄技術のベースがあった
    
  全国に噂 島津貴久 信長 謙信

 堺商人 部品互換方式
   部品を同一規格で分業製造 組み立て
     分業大量生産

  堺 近内 産業革命と考えてもいいかな
   鉄砲前から分業システムがベースにあった
    地方にも高技術者がいた

鉄砲大国 1550代 30万ちょうあった
   ヨーロッパへ逆輸出
     

  種子島時堯 目利き 国際的感覚
   
 
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石山合戦 1570-80

石山本願寺 天正4 1576

『陰徳太平記』 雑賀衆
  鉄砲 連射法 5丁を取り替え
        3倍
   ゲリラ戦法至近距離 10人中8人殺した

  
  信長の3弾撃ちはパクった 長篠 設楽原で

  
雑賀衆 傭兵隊 モラル低い 金で
   商業・海運での利益で鉄砲

 大名x宗教 日本シリーズ クライマックス

 大名を中心とした縦方向の編成 
   兵農分離 信長 江戸時代

 大坂の陣 城 対 鉄砲

  大阪城 堀20mへ 3重に 
   世界的にも 屈指の要塞


  鉄砲が戦国を終焉させた

 武家諸法度 
     築城の禁止 参勤交代 軍役
  参勤交代で鉄砲隊も

 民衆も鉄砲の所持を認める 鑑札

  江戸時代 武器がシンボル化 鉄砲 刀
         使わない
    が、武威 武力をもつことがアイデンティティー



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西郷どん (33)「糸の誓い」

(2018日)慶応2年(1866)1月23日、「薩長同盟」の2日後に寺田屋で龍馬が伏見奉行に襲撃され負傷。
銃で反撃し2人を殺し逃げ、薩摩藩邸で匿われることとなった。

その後、薩摩の船で新婚旅行となり、西郷宅に泊まり、戦中の長州へ向かうこととなったとされる。
が、この間の吉井が竜馬を世話していることはドラマ化されていない。

その頃、パークスがグラバーの紹介で薩摩に来て、藩主忠義と国父久光の接待を受けた。西郷も合ったようだ。後に外務卿となる寺島宗則が通訳を担当したようだ。
パークスは叩き上げの苦労人で中国語に精通し、18年も駐日英国公使を務める。


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NHKオンデマンド 西郷どん (33)「糸の誓い」
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ジョーカー・ゲーム #9 「ダブル・ジョーカー」(後編)

(2016日)D機関の対抗組織が出現したが、
風機関は「躊躇なく殺せ、潔く死ね」がモットーだった。

いちいち殺すデメリットの方が多く、
また、どんな悪人といえども精神衛生上も不健康となる。

今回、あっけなくD機関の方が上だった。
アニメでは爽やかにかっこ良く描いているが、
潜入期間は別の人生を歩むことになるので、過酷どころか残酷な仕事です。


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翔ぶが如く (2ー7) 破裂弾中の昼寝

(1990日)

明治5年、洋行中の大久保から手紙が届いた。

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「隆盛」と父の名を誤って届けた吉井友実を「友春」とワザと間違える大久保のギャグなのやもしれません。
吉井友実は1891年に死去するが、1894年に産まれた孫に「友春」が使われることになった。



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大蔵大輔の井上馨(長州)は陸軍に800万の予算要求満額を認めた。
司法省や文部省は50万程だった。
山縣有朋(長州)が陸軍大輔をしていたこともあり、
司法卿の江藤新平(肥前)は確か「長州政権」と吐き捨てた。
西郷(薩摩)や板垣(土佐)はヤレヤレといった様子で見ている。



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NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第2部第7回 破裂弾中の昼寝

明治5年(1872)6月22日~7月2日にかけて明治天皇の従者として
鹿児島に帰郷したが、久光に挨拶しなかった。
海江田信義が西郷に久光に詫びるよう説得。
11月に戻ることにした。
14か条の詰問状の内、4が西郷への非難で10が新政府への怒りだった。


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その時歴史が動いた 坂本龍馬 幕末の日本を動かす~薩長同盟成立の時~ [歴史動画]

(2000日)大河ドラマでは原作が小説なら何でもありとなる。
『西郷どん』と違う点が確認できます。

最後の「追加1条」の中身を変えてもいる。

伊藤博文が留学生の写真を持ってきて、
竜馬が「フォトグラフだな」と言ったことは、
今回、明らかにされなかった。誠に残念至極である。


伊藤に一言も触れていないことと、
米を運んだシーンがあったのが気になりますね。
長州は武器は貰っといて米の支払いはしていないと
どこかで見た記憶があるのですが、保留にしておきます。


竜馬の裏書資料が本物であるとします。

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NHKオンデマンド その時歴史が動いた 坂本龍馬 幕末の日本を動かす~薩長同盟成立の時~

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ko2.1.21

犬猿の理由

 ペリー 当時19 江戸で黒船見た

   28脱藩 江戸 軍艦奉行並 勝

  姉に手紙 勝の弟子になった 

 文久3.9 神戸 海軍操練所
  この頃 攘夷 暗殺横行

  
 禁門の変 bk4 7.19

    勝と龍馬 京へ 内乱を確信
 
  元治元年7 1864 第1長州征伐
    長州あえなく降伏 薩摩へ恨みつらみ

  海軍塾 閉鎖 隊員に長州藩へ加担疑われる

  家族へ手紙  日本を洗濯しそうろう

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西木正明
    長州は倒幕 徹底した尊王攘夷
    薩摩はまだもう少し

   幕末観の違い

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  龍馬の交渉術 
・キーパーソンを探せ
      京都薩摩藩邸 西郷と出会う

鐘に譬える 大きく叩けば 小さく叩けば

  中岡と議論 薩長を結ぶ

 ko1.4 第2長州征伐
    大阪から発つ 薩摩→長州 木戸

   閏5.1 下関 桂を説得 西郷と会うこと
  
      家族に手紙 長州に桂小五郎あり

      下関で2週間待ったが、中岡だけ
         2者面目丸つぶれ
   
                   
     龍馬すぐ京都へ 西郷の真意を確かめるため
        幕府の動向を京都で探ることを藩命で
   
  爆軍 江戸から出発

・利害を一致させる

  亀山社中 貿易で7300の銃  と米

   秋 会談提案 
     12・26 桂 京へ
   1/8  桂・西郷 初対面
        龍馬は下関 天候で出航できず

・相手の対面を保てるように

   京都薩摩藩邸(現同志社)
    1・18 1回目は竜馬不在
         薩摩7  長州1

   桂久武日記 国事につて存分に話した
   桂小五郎は  談に及ばず


  長州は具体的な取り決めを望んだが 先に頭を下げたくなかった

  1・19 龍馬不在で決裂しようとしていた
         龍馬大阪着
  1・20 薩摩藩邸着 →夜? 桂小五郎へ

      桂 口を開く能わず 龍馬 敢て責めず
     夜 薩摩藩邸 西郷へ 薩摩から話しかけろ
        西郷 承知

  1/21 薩長同盟成立 

    最後の1条
   「今日より双方 皇国のおんため
     皇位あい輝き、ご回復にあいたちそうろう」

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ko3.10.14 大政奉還
     11.15 暗殺  33

   京都霊山護国神社 墓
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西郷どん (32)「薩長同盟」

(2018日)慶応2年(1866)1月の「薩長同盟」の段階では、
「倒幕」というのは、まだ絵空事で具体的でなかったのでしょう。
この時点では長州再征討で潰すことは「一会桑」を利するだけなので避けたかった。

ドラマの追加1条どころか、正式文書はなく、木戸の龍馬への確認の手紙(1月23日付)
のみのようだ。


尺牘(龍馬裏書)宮内庁所蔵資料



薩摩藩士が大量に押しかけ有村俊斎を悪者にして土下座の演出。
原作が小説なので何でもありなのでしょう。

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NHKオンデマンド 西郷どん (32)「薩長同盟」
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勝海舟 総集編 後編

(1974日)文久2年(1862)末、坂本龍馬と北辰一刀流千葉道場の千葉重太郎が訪れる。
世界情勢を語り龍馬が弟子となった。

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この逸話は明治23年の記憶で、千葉ではなく、土佐の知人のようではある。


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萩原健一の岡田以蔵で、司馬の『人斬り以蔵』を読んでいたことを思い出しました。
武市半平太に尽くした以蔵が悲しかったですね。


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無血開城前慶応4年(1868)3月9日、駿府で西郷隆盛が山岡鉄舟に、
5か条の条件を提示。
慶喜の備前藩預かりだけは断固拒否するシーン。
鉄舟=宍戸錠 がインプットされた。


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NHKオンデマンド 勝海舟 総集編 後編


その後、西郷と勝の会談となる。
西郷に村田新八が、勝には鉄舟が控えていたようだ。

この作品も面白かったですね。

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竜馬がゆく 第16回  「脱藩」

(1968日)昭和43年、第6作。原作:司馬遼太郎 脚本:水木洋子 

当時はフィルムが貴重で第16話の現存のみだそうだ。
副題はつけてなく、DVD化時に「脱藩」と付けられた。

高校生の頃、小説を読んだ記憶はある。
私には龍馬に限らず活動的・体育系が苦手だった。
『お〜い!竜馬』も全巻読んだが、当時の私には入ってこなかった。
近年ですね。面白くなってきました。

この作品も、ストライクでした。
残すなら「薩長同盟」か「脱藩」だったのでしょう。


三人の姉がいて、一番近い乙女姉さんに脱藩の決意を語るシーンから始まる。
文久2年(1862年)3月。当時26歳。


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脱藩すれば親族に迷惑がかかるが、乙女は竜馬に毅然と言う。

「坂本龍馬という一個の男子を救国のために送りだすことは、
  オマさんを育てた乙女の義務ですぞ」


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土佐勤王党、郷士の武市半平太に吉村寅太郎が脱藩を勧める。
西郷輝彦わか~、と驚きました。


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脱藩を前に、名刀を漁る。


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NHKオンデマンド 大河ドラマ 竜馬がゆく 第16回


3月24日、沢村惣之丞と共に雪山を登ることとなった。


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英雄たちの選択  逆転 関ヶ原の戦い! 島左近・われに勝算あり [歴史動画]

(2018日)熱田がポイントだったが、西軍が結集できていなかったこと、
三成の兵6000で諸将に比し少なく強権を発動できなかった。
それまでも家康を討つチャンスはあったが、機というのは大事でした。

9月14日の夜襲案却下時点で左近は敗戦を覚悟しつつも、
杭瀬川の勝利で士気を上げ、本戦でも己の最善を尽くし負傷する。
最後は、佐和山の家族とどこかで合流し静かに暮らしたのでしょう。

三成4万石の内2万の厚遇を得ても、却下の連続では哀しいものです。

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英雄たちの選択 「逆転 関ヶ原の戦い! 島左近・われに勝算あり」

----memo

実像不明

だったが、2016直筆書状発見
1590佐竹への書状 対家康

慶長3 8.18 秀吉死去後、左近 家康攻めを進言 却下
4,u3 七章襲撃事件
        三成 蟄居
  左近 佐和山から8000で伏見へ 却下

 5.6 上杉攻め 家康出陣後水口で3000で 既に通過
  7.2 家康江戸着 同日三成挙兵

  水口攻め前
  「テングもトンビに化ければ、クモの巣に引っ掛かる」

  大垣城 岐阜城 調略が、
  清州城主福島正則留守 説得失敗

   左近 熱田で迎撃と進言 却下

 8.11大垣城で構える 東軍 同日岡崎城 
              熱田を通って13日清州城

        家康と合流する前に清州城先発隊を
 


 9.14杭瀬川の戦い

    夜襲か 関ケ原か 

       左近 夜襲

    江戸時代の記録 夜襲却下時点で配下に母を佐和山から

  京都市 立本寺 墓 寛永9年(1632)6月26日没 


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西郷どん (31)「龍馬との約束」

(2018日)慶応元年(1865)5月、竜馬が勝海舟の名を使って薩摩に入り
家老の小松帯刀に会っていたところを西郷と再会し驚いている。

が、どうやら西郷が竜馬を京都から連れて帰ったようだ。
当然に、家族や大久保と会ったことは間違いないだろう。

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ここで、竜馬は桂と西郷を下関で合わせる約束をした。

5月16日竜馬は薩摩を発つ。
21日大久保、先に京に向かい、岩倉から手紙を受け取り公家へ渡したようだ。

閏5月6日、中岡慎太郎、薩摩に着き、16日に西郷と家老の岩下方平を連れて薩摩を発つ。
18日に佐賀で大久保の上洛を急かす連絡を受け西郷は京へ向かった。
中岡が、下関に21日に着いて桂小五郎が激怒したのが実際のようである。


一方、第14代将軍家茂は閏5月11日に名古屋城、16日彦根城、22日に京都に着き孝明天皇と対面している。

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NHKオンデマンド 西郷どん (31)「龍馬との約束」


24日に家茂は二条城を発つが、その前に西郷は家老として謁見していた。
18日に佐賀にいたが間に合ったということなのでしょう。


実際の動きは複雑で、原作段階か脚本段階かは分かりませんが、
簡略化のため、海江田信義が西郷からの手紙を独断で止めたことにしたようだ。
かわいそうでしょう。
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