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NHKスペシャル 「ラグビー日本代表 密着500日~快進撃の舞台裏~」 [映像-他]

(2009日)

南ア戦前に見るべき映像。
画面に食い入りました。
「全てを犠牲にして」とのことでしたが、
1㎝を追求する練習、15人の外国人選手にペリー来航からの
歴史観の共有なども含み、感嘆するばかりでした。


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NHKスペシャル 「ラグビー日本代表 密着500日~快進撃の舞台裏~」


----memo

オフロードパス
  高度な技術と信頼が必要なのでエディ時代は禁止されていた

ミスのリスク

が、ミスを恐れることがミス

持久力の日本

2015イングランド大会では 34-32 で南アに勝利
10-45でスコットランドに大敗 ベスト8を逃した


ジェイミー流に反発する リーチ
ニュージーランドから2005年
根性練は日本だけ

エディはルールに従っていたが、ジェイミーでルーズに

イングランドヘッドコーチになったエディーが
「せいぜい寺に行って祈るがいい」と挑発

因縁の一戦

が、手ごたえを感じていた
 逆転負けをされたが、成長を実感した


3月沖縄 リーチ ケガ オーバーワーク 無理
  骨盤炎症
 離脱し大黒柱を欠く


田村優 司令塔 


7月 リーチ 本格復帰


アイルランド 9回全敗





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おしん 152~154回 自立編

(1983日)

露店での商売が軌道に乗りつつあったが、
世話になっていた健さんの奥さんのような人から怒鳴り込まれ、
おしんは、翌日、出ることにした。大正14年(1925)のことだった。


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健は昨夜の件を詫びた。おしんは、出費を重ねた健に返金しようとしたが、健は固辞する。
それでも返そうとすると、健は一旦受け取り、そのまま優のために使ってくれと渡した。


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おしんは、髪結いの師匠に挨拶し、山形の実家へ帰った。


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母は暖かく迎えてくれたが、兄夫婦は冷たかった。
庄治は小作の連帯により地主と交渉し、5分だったのを6分に成功していた。
とはいうものの、物価も上昇し生活が楽になった訳ではなかった。


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NHKオンデマンド おしん 152~154回 自立編


優を兄嫁のとらが折檻していた。
飴を自分の子にあげたのを優が取ったからだった。

そういう心無い兄嫁を見たりきはおしんの側に立ってくれた。
8歳の時に加賀屋の仕事を紹介してくれたが再度お世話になる。





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ノーナレ 「恋愛圏外」 [映像-他]

(2019日)

アセクシャル(無性愛)という言葉があった。
同性にも異性にも恋愛感情や性的欲求を持たないことを指すそうだ。

自分が他の人とは違うと認識して自分を否定し、
学校の屋上から飛び降りようとしたこともあるという。
自分をマイナスな存在と捉える。

ノーナレは自分の見識が浅いと教えてくれますね。


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ノーナレ 「恋愛圏外」






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徳川慶喜 第20回 慶喜変身

(1998日)

安政7年(1860)3月3日、桜田門外にて井伊直弼は死んだ。
そして、同年、8月15日、水戸に永蟄居となった徳川斉昭が他界する。


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松島が斉昭の無念を思い、号泣した。
が、原作小説では、松島は19位の設定で用事で斉昭の屋敷へ行って手籠めにされているので、笑うところとなっている。


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有栖川宮家出身の吉子が斉昭亡き後の水戸藩や慶喜、朝廷のことなどを憂う。


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永原を奥に呼ぶが、恐縮する様子を懇切丁寧に描く。
一橋家や水戸藩であれ、家族のことは原作では皆無に等しかったと思いますね。
この作品は、脚本の田向正健ワールドなのでしょう。



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徳川慶喜 第20回 慶喜変身


兄の藩主慶篤が水戸への見舞いの許可が下りたが、
彦根藩士から命を狙われる危険があることでもあった。
勅諚の返納をしたかったが水戸過激派は反対だった。
それも承知で、謹慎の身でありながら慶喜は密かに水戸へ向かい
兄慶篤と会う手はずを永原に命じた。
永原は反対したが、慶喜の決めたことだった。





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英雄たちの選択 「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」 [歴史動画]

(2019日)

大内義隆の敗戦が分かっていたものの教訓を得た元就は、
月山富田城の周りを獲ることから始めた。
石見銀山や尼子十旗を得て、2年弱かけて包囲した。
大河では中村橋之助という善人パパが、老獪な緒形拳に仕方なく挑む姿に魅了されましたが、
実際はかなりの陰性なのでしょう。
陶晴賢の陣内孝則と逆だと思うのですが、キャラの濃い主人公に視聴者は疲れるかもしれません。


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英雄たちの選択 「難攻不落!月山富田城~尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦~」

----memo

守護代から 尼子

1543 戦い1 大内義隆1.5万

元就 力攻めは無理
430 尼子への寝返り続出 大内撤退

尼子の圧倒的勝利

500の郭

鉄と銀と港があった
守りに特化した城

義隆自害 1551 


元就 厳島合戦勝利で 大内を継承


まず石見銀山を奪取1562 調略で

1年がかりで尼子10機を調略

その間、隆元死亡 


156504 永禄8
 攻めた。 

長期戦に耐えられる工夫 水もわいた

   山城を作って包囲 勝山城

156611 尼子義久降伏
 義久を許した


出雲文明最後の結晶  出雲大社 尼子が保護 縁戚


1569 鹿之助 尼子再興軍6000結集して 
外征して300人だったが、降伏と偽り鉄砲でだまし討ち


1578鹿之助死去




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おしん 149~151回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)秋、髪結いの師匠宅を訪ねたおしんだったが、
手が使えず、別の仕事を探していた。


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そこへ、健さんに露店での商売をやってみないかと誘われる。
成功すれば100円、失敗すれば女郎へ売る、との約束におしんは乗った。


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店を見に行くと、優を皆がかわいがってくれた。


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師匠のたかは、おしんが側にいることを望んだが、
おしんにとっては、手の動かない自分が居る場所と思えず、
健さんに頼んで探してもらった安いところに住むことになった。
師匠は哀しかったが、笑顔で送り出す。


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おしんは、工夫を重ね、評判を得、大正14年(1925)を迎えた。

竜三に手紙を書く。
が、姑の検閲により、竜三はおしんが勝手に楽しく暮らしていると疑い始めた。



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NHKオンデマンド おしん 149~151回 自立編


健さんの親切に随分助けられたが、
ある時、健さんの妻が怒鳴り込んできた。

完全な善意での親切に甘えていたが、奥さんを傷つけることになった。





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太平記 第7回 悲恋

(1991日)

正中2年1月(1325) 足利高氏は19だった。
その頃、奥州安東氏の乱が長引いていた。


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河内で楠木正成に日野俊基への言付けを頼まれた石は鎌倉に着き、
花夜叉一座の仲間と再会する。
この時、藤夜叉の妊娠を知り不機嫌となる。


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北条得宗家の内管領・長崎円喜が足利宅へ訪れると知らせがあり
弟の直義は激怒していた。
高氏が捕まったのも彼らの企みだったからだった。


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長崎は、高氏と北条守時(赤橋)の妹の登子との婚姻の確認を求めてきた。
第14代執権北条高時の指示でもあった。
父の足利貞氏が「身に余る光栄」だとし、長崎は喜んだが、
それは、奥州へ6000の兵を出してくれとの要請に繋がった。

元々は長崎の息子の高資が安東家の兄弟争いで両方から賄賂を貰って
放置したことから生じた戦争で、その始末を他家に押し付ける身勝手だった。


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藤夜叉は佐々木道誉が預かっていたが、石が忍び込み、
高氏と赤橋の縁談を伝え、子どもは一座で育て父が必要なら自分がなると
諦めさせた。そして、藤夜叉は自分から石に連れ出すよう頼んだ。

屋敷の者に見つかったが、石は命がけで藤夜叉を屋敷の外へ逃がした。


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が、そこに高氏がいて、2人は逃げた。
藤夜叉は高氏と京の都へ行きたいと言うが無理な話で、また明日会おうとなった。
石が追いついたので、石に預けた。



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その晩、帰宅すると、新田義貞とすれ違った。
奥州へ兵を出すので挨拶に来たとのことだった。



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(足利貞氏)

父に確認すると、新田は何も言わず腹をさぐりにきただけとのことだった。
安東を討伐する目的の大軍を北条討伐へ切り替える話となる。
高氏は赤橋との縁談があったので反対したが、
それはそれで幕府を改革していければいいと説得された。



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TSUTAYA 太平記 完全版 

(金沢貞顕、赤橋守時、長崎円喜)


が、連署の北条貞顕(金沢)が、新田や貞氏の腹を見破り、
裏目に出ることを恐れた長崎円喜は、取りやめとした。





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いだてん~東京オリムピック噺~ (39)「懐かしの満州」

(2019日)

昭和20年3月10日の東京大空襲で100万の罹災者となり、4月13日の空襲で、
志ん生の自宅を失い、松竹で聞いた満洲慰問団に参加することになった。


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昭和20年7月、新京放送局のアナウンサーだった森繁久彌に引率され各地を回った。
森繁は、ソ連が参戦すれば危険だと分かっていた。


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出陣学徒だった小松勝は負ける戦と知った上官の決断により逃げていた。
志ん生の「冨久」にリアリティーが無いと「指導」し追い払われていたが、
奉天で再会し大連に着いた。


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小松勝は志ん生の「富久」が自分の指導で上達していることに感涙。
日本の家族にハガキを送りたくたくなり、途中で出た。


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が、ソ連兵に見つかる。とっさに逃げた。
素直に話して無事解放してくれると期待するほど愚ではなかった。


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銃撃され、東京の家族に遺品が届く。
送ろうとしたハガキには「志ん生の富久は絶品」と書いてあった。


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志ん生が大連で船に乗れたのは、昭和22年1月だった。


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いだてん~東京オリムピック噺~ (39)「懐かしの満州」


24日に佐世保に着き、電報を打ち、27日到着した。
1か月のつもりが、約2年となった。

今回、志ん生と小松親子、金栗との関係、
妻のりんが、バーで占ってもらい田畑と会うなど、
繋がってきたことの感動と、敗戦前後のソ連参戦と満洲の現実に
今回、特に胸に迫る回でした。




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おしん 146~148回 自立編

(1983日)

大正13年(1924)秋、篤子が愛を出産し嫁ぎ先に帰った翌日、
おしんは田倉家を去った。


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長兄の福太郎は餞別を渡した。
合理主義者でもあり、労働に対する対価という面もあったのでしょう。
大五郎も竜三に渡していた。


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源じいの墓で待っていると、恒子が優を連れ出してくれた。
姑の清に疑われ、竜三に感謝されたが、シラを切った。


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当時、佐賀から東京へは3日かかったそうだ。


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髪結いの師匠を訪ね、笑顔で歓迎される。うな重を注文してくれた。
が、鈍感だった師匠は、食べる段階になっておしんの口から事情を聞くまで
何も気づかなかった。

翌日、師匠の髪を結おうとしたが、手が動かず無理だった。


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NHKオンデマンド おしん 146~148回 自立編


佐和を訪ねる。料理屋での住み込みだったが、
子どもがいれば無理だった。
佐和は以前に貰った東京行きの金30円を返した。

おしんに多少の恩がある者たちは無下にはしないが、
いつまでも甘える訳にはいかなかった。





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ノーナレ 「富士山と牛と僕」 [映像-他]

(2019日)

酪農家の15歳の息子が北海道の全寮制の農業高校に入学する。
少年は「継ぐ」と言わないし、親も「継げ」と言わない。
が、規模が大きく、自然と代々継承されていくのでしょう。

ペットではなく家畜なので、生まれた子牛をすぐに母と離し、
小屋に移して、ミルクをやる。
手間だと思うのだが、母子の感情を殺して人間社会が乳製品を得ていることになる。

が、牛がケガをすれば、情も働く。

牛と共に生きるということなのでしょう。



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ノーナレ 「富士山と牛と僕」






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