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鎌倉殿の13人 (8)「いざ、鎌倉」

(2022日)


治承4年(1180) 8月17日に挙兵した頼朝だったが、石橋山の戦いで敗れるも、
安房で再起。千葉常胤、上総広常を味方につけ、鎌倉へ向かった。


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清盛は追討軍1万を発たせ、膨らませることにした。


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義経も向かっていた。
他人の成果物を横取りして恥じない卑劣な男は、この時代にもいた。



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頼朝軍が大軍となり、畠山重忠らが降ってきた。


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三浦義澄は、重忠が父義明の仇だったにもかかわらず、
頼朝軍にとって必要ならばと耐えることにした。


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(武田信義)

再度、時政と義時がダメ元で甲斐に向かったが、
味方になってくれた。頼朝は確信していたが、
院宣のある膨れ上がった頼朝軍に対して平家方に付いて戦うなぞ、
甲斐源氏として名が廃れるようなことはできなかったのでしょう。


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岡崎義実が父義朝の鎌倉の館を守ってきたが、
統治機構の拠点として別に構えることにした。


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野宿をする身の行軍に対して、頼朝は酒に付き合う。


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大庭景親としては、中央からの討伐軍が来る前に叩きたかった。
付き合いきれない梶原景時は去ることにした。


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義時は、離れて暮らしていた政子たちが鎌倉に入る際の衣類を梶原景時に借りにいった。
そこで、景時は頼朝に降ることにする。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


頼朝は出迎え、衆人が見守る中の感動の再会だった。






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