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翔ぶが如く (2ー19) 明日への飛翔 (最終回)

(1990日)

明治10年(1877)9月24日、午前4時、7万が城山を囲み、官軍の砲撃が始まった。


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大山巌34歳、日露戦争時、元帥陸軍大将、満州軍総司令官。


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隆盛は、熊吉が糸から預かった服に着替えた。40数名だった。


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「それなら行こかい」

桐野利秋、村田新八、西郷に応えた。


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西郷、突撃。2発被弾。


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別府晋介の介錯だった。



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翌、明治11年(1878)大久保は讒謗律で逮捕収監していた海老原穆を呼び出し、
西郷の伝記を記すに相応しい者を聞いた。海老原(草野大悟)は自分で受けた。
そこへ、洋装した海江田信義が来た。



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5月14日、紀尾井坂、早朝のことだった。
島田一郎ら6名、同日、自首。


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NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第2部第19回 明日への飛翔 (最終回)


従道は連絡を受けるや直に駆けつけた。
大久保の胸に、兄からの手紙があった。

そこへ大警視 川路利良も来た。
川路は事前に島田らの計画を聞いてはいたが、犯行を許してしまった。


従道は、川路を一瞥し大久保を馬車に乗せ、自宅へ向かう。


その頃、鹿児島の西郷邸では、西郷が東京にいた時の家主だった
千絵が西南戦争に加わった矢崎八郎太との子を産む。


小山内美江子臭がしますが、司馬の原作とは独立した「大傑作」なのでしょう。



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機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争  #4   河を渡って木立を抜けて

(1989日)中立コロニーのサイド6内で、ジオンの工作部隊4名が連邦軍のガンダム奪取計画を立てた。

連邦の開発した新型モビルスーツだったが、
その場所を特定したのが、小学生だった。

しかも、落ちこぼれだったが、その少年を殺さずよく利用したものだと呆れる他ない。

この少年の隣の家には幼馴染の連邦軍の軍人となったお姉さんがおり、
少年がいつ何をうっかり話すか分からない危険をかかえていた。

そういう状況の中、ジオン工作部隊は連邦軍基地に潜り込んだ。
奪取が不可なら破壊だった。


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TSUTAYA 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争
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闇金ウシジマくん [映画]

(2012日)10日で5割の利子で、『ミナミの帝王』の「十一」以上のエゲツナサだった。
萬田銀次郎は最終的に極悪人から回収したが、この主人公はそうでもないようだ。

イベントサークル代表の純なるチャラい男が携帯3台で数千の知り合いを登録し
女性を集客するため顔となる男を集めて場所を確保し数百万の前金を払って、
イベントを成功させようとする舞台裏の現実世界を知ることができ、
「教養」となった作品でした。

まさか、”そこまでする”とは思ってなかったが、
安易に警察の力を使って、業者から「巻き上げる」まで
考えようとする素人がいるとは思えないですね。
そこまでされたら、当然、選択肢が絞られることとなる。

ネタはドロドロとした世俗の世界ですが、深い作品でした。



TSUTAYA 映画「闇金ウシジマくん」





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花神 総集編 第5回 維新回天(最終回)

(1977日)

慶応3年(1867)9月19日、薩摩の大久保は長州に向かった。


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左端 第14代藩主毛利敬親(金田龍之介)「そうせい」が口ぐせだった。
対面 大久保


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10月、大政奉還を決意する徳川慶喜


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慶応4年(1868)1月4日、仁和寺宮嘉彰親王が征討大将軍となり、
愛人に作らせた錦旗が使えることとなり勝利を確信する大久保一蔵。


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越後長岡藩は15万石の小藩だったが、5月3日、徹底抗戦を決意する。
同日、奥羽列藩同盟結成
河合継之助、ガドリング砲を採用したが、重くて移動が難しかった。


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明治2年(1869)5月11日、五稜郭にて、土方歳三 35歳。


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京都で刑法官の監察を行う弾正大忠となった海江田信義、
長州脱藩浪人と会合を持った。(神代直人、太田光太郎、団伸二郎)
上野戦争で、嫌味な大村に恨みを抱いた。


その頃、関東に軍事施設を作る案を退け、大阪に作ることを大村は主張。
東北諸藩が復活することは数十年心配ないが、薩摩のエネルギーが心配だった。

7月27日、大村は東京を発ち東海道は危険なので、
 桂の勧めで中山道で京に向かった。
8月13日、京都着。
     伏見練兵場で明治陸軍の原型となる調練方法を決める。
     宇治火薬製造所、大阪砲兵の陸軍施設、天保山に海軍基地を作った。

    後、西南戦争鎮定の根拠となり、太平洋戦争終結まで使われることとなった。

9月3日、京に戻り、三条木屋町の宿に泊まった。


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9月4日、海江田信義(薩摩)と飲んだ長州浪人ら8人、大村を襲う。
左、神代直人(現 川口雪篷)



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NHKオンデマンド 花神 総集編 第5回 維新回天(最終回)

シーボルトの娘イネは、娘の高子の夫から聞き、
横浜から8日で京に到着。


10月2日、大阪へ舟で運ばれた。担架を担いだ男の中に、
  後、日露戦争野戦参謀総長となった児玉源太郎と
    陸軍大臣となる寺内正毅がいた。

27日、午前8時、右大腿部切断。

11月5日、帰らぬ人となった。45歳。


長州の革命の系譜に3人がいて、
吉田松陰は思想家、高杉晋作は行動家、大村は技術者として活躍したそうだ。

維新が正義なら技術をもって枯れ木に花を咲かせたのが、大村益次郎だった。

中国では「花咲爺さん」のことを「花神」と言うそうだ。




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