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鎌倉殿の13人 (9)「決戦前夜」

(2022日)


治承4年(1180) 8月17日に挙兵した頼朝だったが、石橋山の戦いで敗れるも、
安房で再起。千葉常胤、上総広常を味方につけ、鎌倉に入る。
そして、伊東祐親殺害を和田義盛と畠山重忠に命じた。


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が、孫である北条義時と三浦義村が先に到着。
八重の夫江間次郎は祐親から頼朝の軍勢が来た時には殺すよう命じられていたが、
逃がそうとする。


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八重が共に逃げようとするも、善児が後ろから刺した。


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義時は祖父伊東祐親の説得を試みるが、そこへ八重が逃げてきた。


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義時や政子が助命を乞い、身柄は三浦が預かることとなった。


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八重は御所で侍女として仕えたいと申し出た。
政子は寛大に振舞う。


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10月13日、維盛を総大将とする追討軍が東海道を進んだ。


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16日、頼朝は黄瀬川へ出陣した。甲斐源氏武田信義の陣に足を運ぶ。
信義は、「かけつけてくれたぞ」と上に立とうとするが、
頼朝は「立ち寄ったまで」と去ろうとする。
信義は、明後日に攻める約束をし酒に誘い策を練るとした。
しかし、その晩に富士川の維盛軍を討つことに決めていた。

が、時政の失態により出した音で水鳥の羽音が夜空に響き、
維盛軍がビビッて崩れ軍を引き返す展開となる。


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武田に続き、頼朝も追討しようとするが、兵糧が足りず、
イラつく頼朝に、時政は「戦で命を張るのはわしらなんだ」と半ギレ。
一旦戻ることとなった。武田も追い打ちを諦める。


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板東坂東武者を頼りにせざるを得ず、落ち込んだところに、
九郎義経が現れた。
父を殺し母を奪った清盛を憎み、兄頼朝に命を捧げると涙ながらに申し出る。


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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


「よーう来てくれた」と繰り返したセリフを義経にも使うが、
今回は、公人としての振る舞いではなく、
父を同じくする兄弟の再会の感涙だったのでしょう。





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