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鎌倉殿の13人 (12)「亀の前事件」

(2022日)


養和2年(1182)2月、頼朝は千鶴丸を殺した伊東祐親を殺害、自決とした。


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が、八重は納得せず、真相を求めるも義時は言わなかった。


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頼朝の異母弟の阿野全成と政子の異母妹の実衣との話がまとまる。


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大恩人の比企を当然に鎌倉に招く。


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(大江広元 中原親能 藤原行政)

3人は三善康信の推挙により文官として加わった。
康信は頼朝の乳母の妹の子という縁で定期的に京の情勢を知らせてくれていた。
13人の1人となる重要人物だった。

頼朝から生まれる子の乳母夫に比企能員、
安産祈願での馬引き役に畠山重忠と義経が任命されるも、
義経は馬アレルギーで断り、義時となる。
が、武人なので仕方なく太夫黒という愛馬で一の谷を戦ったようだ。


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頼朝に愛妾がいることを知った牧の方が政子の耳に入れた。
政子は義時から亀の前という女であることと、居所を聞き出した。


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牧の方が「後妻打」(うわなりうち)という都のやり方を教え、
兄の牧宗親が軽く門を壊すこととした。
が、義時に警備を頼まれた義経が理由を知り、破壊し全焼させる。


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頼朝は政子に恐怖する。


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義経は謹慎、牧宗親は髻を切られる恥辱を受けた。


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牧の方は当然に怒り頼朝に抗議。政子も加わり頭を下げることを求める。
が、頼朝は居直る。



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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人


時政がキレた。政子の父でもあり、辱められた宗親は義理の兄であり、
面白いはずはなかった。伊豆に帰ることにした。
鎌倉には義時を残しておいた。





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